元日本代表で現在、ナナカラの正職員として働く岩原知美さんにお話をお伺いしました!
(聞き手 尾崎えり子)
プレッシャーも強制もなく、「ケガだけはするなよ」とひたすら応援をしてくれた両親。
Q ご両親は岩原さんの競技に対してどんな姿勢でしたか?
岩原
今思い返してみると、両親からプレッシャーをかけられることはなかったですね。やりたくない、やりたいも自分で決めていいし、私の決断をひたすら応援してくれていました。
Q アイスホッケーを始めたキッカケは何ですか?
岩原
北海道の釧路で生まれたので、生活の一部にスケートがありました。3歳の頃に、4つ上の兄がやっていたアイスホッケーを見て、「かっこいいな」と思ったのがきっかけです。ケンカばかりする兄弟でしたが、汗をかいて、一生懸命プレーした後のすっきりした顔の兄をみて、「こういう風になりたい」と思ったのを覚えています。3歳の時に、本格的にやりたいとスケート教室に通い、4歳から防具をつけてアイスホッケーデビューし、小学校1年生の時に、学校のアイスホッケークラブに入りました。
Q 送り迎えや試合などは全てご両親がされていたのですよね?
岩原
兄もアイスホッケーをしていたので、兄と私の送迎、そして試合観戦。
両親が分担して対応してくれていましたが、毎日とても忙しかったと思います。それでも、結果を求められることはなかったです。「ケガだけはするなよ」といつも送り出す時に声をかけてくれました
Q 試合を観戦した後、ダメ出しなどはされなかったのですか?
岩原
友達は、今日の試合が終わった後の反省で、親から「あれがだめだった」って言われるのが嫌だって言っていた子もいましたが、私の両親は「楽しかった?」「何が楽しかった?」という問いが多く、共有みたいな感じでした。
忙しくて、ゆっくり話す時間もないので、車の中で親とのコミュニケーションをとっていました。
「どういうプレーしたい?」常に自分で考える習慣を作ってくれた指導者
Q 指導者はどのような姿勢で岩原さんに向き合っていましたか?
岩原
小学校の時に担当してもらった先生は「もっとうまくなりなさい」とは言われなかったんです。だから、ひたすら楽しかったです。練習は「辛いこと」ではなく、「希望してやりたいこと」でした。
Q 練習をするモチベーションはどんなものでしたか?やはり「勝ちたい」という気持ちですか?
岩原
実は勝ち負けをそんなに気にしていなくて、ただ滑りたいだけ。前回の自分よりもできるようになっていたい、という子ども時代でした。私は人とあまり比べず、自分に集中するタイプなので、ひたすらやるのが好きでした。指導者から「今日はこれをやりなさい」と言われることはなく、「今日は何やる?」と聞いてくれるので、「バックスケーティングを今日は上手になろう」「今日は1点とろう」と目標を勝手に立てて練習や試合に取り組んでいました。
Q 高校になっても指導者は自主性を重んじてくれたのですか?
岩原
親の転勤で高校生の時に東京に行くことになり、クラブチーム「SEIBUプリンセスラビッツ」に入りました。高校生は二人だけで、大学生や社会人の方々が大勢いる女子チームでしたが、そこでも「どういうプレーしたい?」「どんなところ成長させたい?」と常に自分で考える問いを投げかけてくれました。様々な指導法があると思いますが、人と競争するよりも、淡々とやりたい自分にはとても合っていたと思います。
クラブチームでは日本代表の方もいましたが、育成枠で、レギュラーで出させてもらっていました。いずれ日本代表に入ってほしいという気持ちを込めて、ハイレベルな先輩と組ませてもらえました。「すぐ結果を残せ」とは言われず、育つまでの時間もあれこれ言わずに待ってくれていました。そのおかげで、高校二年生で日本代表に選ばれることができました。
「楽しんでいる方が強い!」蹴落とすのではなく、高め合える仲間たち
Q 「淡々とやりたい」という岩原さんにとって、仲間に対してはどんな気持ちを持っていましたか?
岩原
小学校の時は男女一緒にやっていて、チームメンバーは「仲間」というよりは「お友達」でした。中学で、中学生から大人までいる女子クラブチームに入りました。先輩後輩関係もあり、礼儀や挨拶も教わりました。今まで自分のペースで勝手にやっていたことが、相手を意識してみんなに合わせてやることが新鮮でした。ずーっと長く一緒に過ごしていくうちに、チームメンバーとの「仲間」という意識が育ってきました。小学校の時とは、また違う楽しさを感じました。
Q どのあたりから「もっと上に行きたい」という意識に変わってきましたか?
岩原
中学3年生、高校をどうするかを考えた時、「もう少し上のチームでやれるなら、やりたい。高校生になったら日本代表に入りたい」という気持ちが出てきました。小学校の時から将来の夢はずっと日本代表だったのですが、リアルにその目標に向かって動き始めたのが、中学校3年生のときです。
Q 実際、日本代表になって、そこに集まる仲間たちの意識が違いましたか?
岩原
日本代表に選ばれている人たちは、目指しているものが違いました。個人の目標もレベルが高いし、「チームを勝たせないといけない」という使命も背負っていました。その背負っている大きさを肌で感じて、「もっと練習しないと」と思いました。でも、「いずれ、絶対、この先輩たちを超えられるな」という自信もありました。
超えられると思えたことにワクワクしたんです。
Q なぜそんなすごい先輩たちを超えられると思ったのでしょうか?
岩原
ただ単にアイスホッケー楽しいと思ってプレーしていた高2の私は「楽しんでいる方が強い」と信じていました。
Q 「楽しんでいる方が強い」いい言葉ですね。
岩原
「楽しい」「好き」に勝るものはありません。ライバルもしゃべっている間に友達みたいになれます。相手も私もアイスホッケーが好きだから負けたくないんです。でも、「アイスホッケーが好き」という感覚が一緒だから仲良くもなれます。高めあっているという空間でしたね。ポジション争いはもちろんあります。相手が選ばれた時は悔しいけど、「頑張って」と言い合えます。逆にそれを言い合えないとチームに残れないです。ライバルだけを意識していると、チーム競技はうまくいかず、去っていく選手もいます。
Q 楽しいという気持ちはずっと続いていたのですか?
岩原
はい、楽しいという気持ちはずっと引退まで続いていました。やめたいと思ったことは一度もありませんでした。ケガしても「痛い」はあるけど、「苦しい」ではない。アイスホッケーをやれない方が苦しいんです。ライバルがいるという意識よりか、一緒にやれるのが楽しいんです。日本代表の選手だからすごい、とかクラブチームの選手だからすごくない、というのはなく、みんな自分が好きだから、プレーしに来ているんです。「アイスホッケーが楽しい、好き」というメンバーの中でプレーできたのは最高に幸せでした。
Q 最後に。ナナカラではどんなことを子どもたちに伝えていきたいですか?
岩原
やっぱり【一生懸命を楽しむ】です。どうせやるなら何事も一生懸命を楽しんでもらいたいです。ただ楽しむではなく、一生懸命を楽しむ。これは一生懸命をやらないと感じられない感情だと思います。結果は後からついてくると思います。結果は自分でコントロールできる事ではないと思います。ただ、一生懸命を楽しむのは自分でコントロールできること事だと思います。この感情を感じる事ができれば、これから何をしたいか分からないという子も、これはチャレンジできるという気持ちにも変更できると思うので、ナナカラの子ども達一生懸命を楽しむ事の素晴らしさを伝えていきたいです。